尾木ママの年収は教員の20倍、高校は留年,教師時代は女子と交換日記

こんにちは。こんにちは。主婦の皆さんに役立つ情報をお届けするブロガーのいちにょです。今回尾木ママこと教育評論家の尾木直樹さんについて注目していきます。

尾木ママはそのカラフルな人生と教育に対する情熱で知られています。今回は、尾木ママの驚くべき年収と豪華な生活スタイル、教師になった理由や評論家二転した理由について詳しくお伝えします。最後までお付き合いください。

 

尾木ママ、評論家としての年収

 

尾木ママは学校の先生を辞めて、評論家として活躍しています。

評論家としての尾木ママの年収は、数千万円以上になると推測されています。

 

これは、尾木ママの多方面での活動と、豪邸に住んでいることからも裏付けられると思います。尾木ママの年収は、教員時代の20倍を超えると言われています。講演や著書からの収入が、その大きな源泉でしょう。

 

尾木ママ、本名尾木直樹さんの年収の内訳については、公開されている情報は残念ながらありません。

 

でも尾木ママ収入は、教育評論家としての講演や著書からの収入、テレビ出演など多岐にわたるものから得られています。尾木ママは、過去には評論家としての年収が86万円だった時期もあったと本人が語っていました。

 

尾木ママは現在は200冊を超える著書を出版しています。尾木ママが講演するとなるとその講演会も超満員です。86万円しかない評論家としての年収は、その尾木ママの知名度から大幅に増加していると推測されますね。

 

私も家の本棚にも尾木ママの本があります。

『こわい顔じゃ伝わらないわよ~尾木ママの子育てアドバイス~』『尾木ママ流叱らない子育て』の2冊です。すごく読みやすいですよ。子供の気持ちを考えて、子供に寄り添うことが大切というメッセージを与えてくれます。

 

尾木ママ、教員時代の年収

尾木ママが教員だった時代、尾木ママの年収は一般的な教員のそれと変わらないものでした。しかし、教育評論家としてのキャリアをスタートさせてから、尾木ママの収入は劇的に増加しました。

 

皆さんは、教員の給料がいくらか知っていますか。

尾木ママは公立中学校の教師でしたからその年収は、平均して約700万円程度です。具体的には、平均年齢42.5歳での平均年収は740万円ほどで、月額給与は約46万円、年間賞与は約182万円です。

 

今教師のなり手がいないです。公立中学校の教師は初任給が地域や学歴によって異なりますが、全国的に見ると22万円から26万円ほどが一般的な範囲とされています。今新入社員の給与が上がっていることが話題になっていますが、教師は「売り上げ」が上がるわけでもなく、給与アップは無しですね。

 

先生は給与も待遇もほかにないブラックです。毎日部活動の顧問で遅くまで指導、それが終わってから授業やクラスの準備や仕事、おまけに保護者からのクレームや相談があります。土曜日も出勤で日曜日は練習試合や公式試合、そんなプライベートも無い仕事に就かない人が増加しています。ちなみに残業代なんてないし、代わりに休みを取ることになっていますが、クラスがあったり授業があったら休みなんて取れません。こんな状況でいい先生なんて学校にはいなくなりますね。

 

尾木ママの豪邸の生活

 

尾木ママは「トイレ3つ、お風呂3つ、部屋9つ」の豪邸に住んでおり、その生活は多くの人々に驚きを与えています。

 

前述したように、学校の先生は狭い世界でお仕事されているので教師同士で結婚する場合が多いです。そうすると、男女で差が無い年収だからそれなりの収入ですが、そうでない場合は公務員住宅や教員住宅という団地に住んでいる場合がほとんどです。その狭い住宅は2LⅮKか3ⅮKで35平方メートルから50平方メートルで家族4人が住むのが平均的ですよ。

 

そう考えると、教育評論家として転身したからこそ、尾木ママは豪邸に住んでいます。尾木ママは2024年1月18日のテレビ番組で、自宅にトイレが3つ、お風呂が3つ、部屋が9つあると言っていました。

 

教育評論家として豪邸住まいを鼻にかけるわけにもいかなかったから、情報が少ないのでしょうね。尾木ママの豪邸は9LDKであり、教育評論家としての成功がうかがえる素晴らしい住まいのようです。尾木ママの番組での発言から、豪華な設備を備えた大きな家であることが伺えますね。尾木ママの自宅は、その規模と設備から見ても相当な資産価値があると考えられます。詳細な資産評価は公開されていませんが、尾木ママの成功を物語る象徴ですね。

 

尾木ママ、家族との関係

尾木ママは妻と二人の娘を持つ家庭人でもあります。尾木ママの家族は、きっと尾木ママが教育評論家として持っている教育ポリシーの温かさが、反映されているのでしょう。

 

尾木ママの奥様は、尾木ママの早稲田大学時代の同級生だそうです。席の隣にいた奥様を尾木ママが声をかけてことから交際に発展したとか。偶然の出会いが26歳の時の結婚に至りました。つまり奥様も教育学部出身ですね。尾木ママと奥様の教育のプロに、二人の娘さんは育てられたということですね。

 

尾木ママの教育に対するポリシー

尾木ママの教育に対するポリシーは、子どもたちの魅力を発見し、それを本人や他の子どもたちにも知らしめることにあります。

 

尾木ママ、学生時代は「真面目な優等生タイプ」とは少し異なっていたそうです。

 

尾木ママは高校1年生の時に教員との衝突が原因で授業をボイコットし、その結果として「留年」するという経験もしています。

 

日本の学校は留年という例はあまりないので、尾木ママのこのような経験が、尾木ママの教育に対する思いや後の教育評論家としての活動に影響を与えたのでしょう。

 

尾木ママは、教育現場におけるいじめ問題について力を入れています。

 

学校や教育委員会の閉鎖的な構造が問題解決を遅らせていると訴えています。それと学校の厳しい規制に対する疑問を持ち、あだ名禁止などの問題についても、現場の実態とかけ離れた意見が多いことに驚きを表明しています。

 

私なんて友達はもちろん先生からもあだ名で呼ばれていましたからね。あだ名禁止だとか運動会で競争禁止とか次々話題になりますが驚きますよね。

 

尾木ママが発言すると、誰もが学校教育に対して深い関心を持つことが出来るので、重要な存在ですね。何より、子どもたちの心身の健康を守り、改善されるのが一番ですね。

 

尾木ママはなぜ先生になったの?

 

尾木ママが教師を目指した理由は、彼自身が学生時代に教師になることを考えていなかったにも関わらず、就職活動中に母親から「直樹は学校の先生が一番向いている」と勧められたからです。

 

尾木ママは当初、ジャーナリストや雑誌の記者など、文章関連の仕事に興味を持っていました。しかし、母親は彼が反抗心を持っている子や不登校の子供の気持ちがよくわかるため、良い先生になれると信じていました。そのため、母親の勧めに従い、教師の道を歩むことになったそうです。

尾木ママの母親も教師だったそうです。教師を目指す契機となったのは母親が教師であったことが影響しているんですね。

 

尾木ママの先生時代

 

尾木ママは生徒との関係を大切にしていました。尾木ママは生徒の進路や恋愛の悩みに対しても交換日記を通じてアドバイスしていたそうです。尾木ママは私立海城高校、東京都公立中学校で国語科の教諭として、その後大学教員に転身し、22年間教壇に立ちました。その後、教育評論家として活躍しています。

 

生徒と交換日記をするのが今の教育ではタブーかもしれませんが、尾木ママが生徒とのコミュニケーションを大切にしている先生だということがわかりますね。

 

尾木ママは、教師としての立場では現代の教育現場を変えることが難しいと感じ、評論家としての活動を通じてより広い範囲で教育改革に貢献することを目指したそうです。

 

尾木ママの早稲田大学教育学部での学びと、学校現場での経験が教育者としての基盤を作り、教育評論家としての活動につながっているのですね。

 

尾木ママ、教育評論家へ

 

尾木ママは、教師の立場では現代の教育現場を変えることが難しいと感じました。尾木ママは、教育評論家としての活動を通じて、より広い範囲で教育改革に貢献しようと思ったのです。

 

尾木ママは、教師として22年間勤務した後、1994年に教員を退職し、同年に臨床教育研究所「虹」を設立しました。これにより、教育に関する著書の執筆や講演活動を行い、教育評論家としての地位を作りました。

 

臨床教育研究所「虹」は、教育評論家である尾木ママが所長を務める研究機関です。この研究所の主な活動は、子どもや青少年に関わる課題に対してフィールドワークを基盤とした調査や研究を行うことです。学校の内実や子どもたちの実情を社会に伝え、学校と社会の間に「虹」のような掛け橋をつくることを目指しているそうです。

 

具体的には、教育界や社会の動きに敏感に対応しながら、調査・研究活動を行い、その成果を「レインボー・リポート」としてまとめて情報発信します。これにより、閉鎖的になりがちな学校に社会の風を吹き込み、教育改革や子どもたちのより良い未来のための提言を行っているのです。

 

尾木ママが主宰する臨床教育研究所「虹」は、教育界や社会の動きに敏感に対応しながら、学校の内実や子どもたちの実情を社会に伝える活動を行っていることがわかりますね。

 

また、閉鎖的になりがちな学校に社会の風を吹き込むことを目指しているそうなので、その活動には期待したいですね。

 

学校と社会の間を「虹」の掛け橋としてつなぐ役割を果たすという意味なのかもしれませんね。

 

 

まとめ

 

尾木ママの生き方は、多くの人々に影響を与えています。彼の年収、豪邸、家族との関係は、彼の教育に対する深い情熱と、人生を豊かにするための努力の結果です。尾木ママのこれからの活動にも注目しましょう。

 

これまでこの記事が、皆さんのお役に立てば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。それでは、また次回のブログでお会いしましょう。バイバイ。👋

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